昭和36年に商工振興を目的に聖神社、大森神社の例祭と併せて誕生した「鳥取祭」は、市中パレードが主であったため、市民が参加する機会が少なく盛り上がりが得られませんでした。
そこで、鳥取県東部地方に古くから伝わる「因幡の傘踊り」を誰でも簡単に踊れるようにアレンジして、大衆化することを考えました。
当時の高田勇鳥取市長は、横枕地区の高山柳蔵氏に依頼して、現在の「きなんせ節」の振付を完成させ、昭和39年の鳥取市庁舎新築落成を記念して、この新作傘踊りを発表しました。
昭和40年の祭りからこの踊りを取り入れることになり、祭りの名称を広く募集したところ、山脇豪・藤井愃夫両氏の「しゃんしゃん祭」 が選ばれました。
「しゃんしゃん」とは、市街地の温泉で「湯がしゃんしゃん沸く」と「鈴の音がしゃんしゃん鳴る」という意味で名付けられました。
その後、昭和45年第6回から「鳥取しゃんしゃん傘踊り」の振付が、そして平成に入ってから、「平成鳥取音頭」、その後、「しゃんしゃんしゃんぐりら」が登場し、現在の「鳥取しゃんしゃん祭」では、これら4曲が踊られています。
年4千人を超える踊り子が一斉に踊る華麗な「鳥取しゃんしゃん祭」は、第50回記念大会(平成26年)に『最大の傘踊り』で世界記録を達成し、今や全国にも広く知られる祭りとなっています。